私のカメラと作品の変遷


「Asakusa」シリーズより

これまでいろんなカメラを使ってはそれぞれの目的に応じたシリーズを作ってきました。例えば、私が学生時代から始めた10年がかりのシリーズ「trans」では、LOMOのルビテル6×6に始まり、リンホフマスターテヒニカ、ハッセルブラッド、ローライフレックスと、リンホフを例外としてほぼ6×6フォーマットで作ってきました。

ひとつのシリーズに複数のカメラを使うことはほとんどなく、次のシリーズ「sumposion」では、背景のモノクロをローライフレックス3.5F、花の撮影にはフジフイルムのGX680で背景になじむようにアオリを活用しています。

floating time」ではポラロイド社のSX-70のみ。倒産によるフィルムの製造中止後にはネットでフィルムをかき集めましたが、ほとんどが期限切れとなり、現像液が漏れてカメラも不具合を起こしてしまいました。

それからデジタルへの挑戦が始まり、リコーGRD4とGRで3年がかりで模索して撮影した初のスナップ作品「tokyo incident」シリーズ。

そしてフィルムへの回帰とデジタルの融合をハッセルブラッド500C/Mで試みている現行のシリーズ、「fairy(フィルムのみ)」、「eternity(デジタルのみ)」シリーズ、「Asakusa(デジタルとフィルムを併用予定、未掲載)」シリーズと繋がっていきます。

また、クラウドファンディングで入手させていただいたライカM3にスーパーアンギュロン21mmとピンホールレンズのみで構成し、新婚旅行でスペイン・アンダルシア地方を撮影したシリーズ(題名未決定、未掲載)もあります。

現在では、創作はほとんどハッセルブラッド、時にライカ、といった感じで行なっています。ハッセルブラッドよりもローライフレックスの方が合っているとは感じるのですが、ディスタゴン CF-FLE40mm(35mmカメラ換算でスーパーアンギュロンと同じ21mm)がどうしても使いたく、また仕事の上でデジタルパックが使えてレンズも交換でき汎用性のあるハッセルを選びました。

ハッセルとの出会いは、もう随分昔に遡りますが、大学で6×6フォーマットを学んだ頃から、「いつかはハッセル」と長年夢見てきたものです。帰国して就職した通信社での記者時代に銀座レモン社へ走り、新品のハッセル(当時は中古カメラを買うなど考えも及びませんでした)を勇んで買いに行ったら、なぜかその場で4×5が撮りたくなり、またリンホフの工芸品のような美しさに惚れてしまい、その場で70万のローンを組んで購入してしまいました。標準でついていたシュナイダーのレンズのグレーの描写には、鳥肌が立つほど感動したものです。

が、結局、4×5は機動性の面でも東京をくまなく歩いて撮るスタイルの私には相性が悪く、パリへ一度持って行って苦労して使ったのを最後に手放してしまいました。そして、ようやく念願のハッセルブラッド503CWの新品を購入したのでした。やはり私には中判の6×6しかない、と感じてのことでした。

しかし、初のハッセルとの出会いは、私の期待を裏切るものでした。同じ6×6でも、ルビテルの二限レフに慣れていた私には、一眼レフのハッセルのスタイルがどうも馴染めなかったのです。そして、レンズは描写が硬く(それだけに優秀すぎて)、ルビテルで馴染んでいた曖昧な描写や偶発性が楽しめず、日本の風景の描写にも合わないように感じました。今考えれば、あの時の503CWを今持っていたら…と手放したのを残念に思います。

その間にポラロイドカメラにハマってみたり、せっかく覚えたアオリ機能を使って作品撮りがしたくなってみたりと色々試した結果、大学で覚えたモノクロ写真にこだわっている割には、みてみるとカラーの作品も意外と多くなってきていました。実は色盲の私にとって、カラーはあまり興味の対象ではないのですが、ポラロイドの発色には感動しました。ちなみに、SX-70のフィルムフォーマットは、ほぼ正方形になっていましたので、私の嗜好にもぴったりでした。

そんな風にカメラや作品を渡り歩いてきましたが、持病の悪化に伴い会社勤めが難しくなり、当然のごとく経済状況も悪化しました。と同時にデジタルカメラの進歩が著しくなり、コンパクトデジカメでも十分以上の描写が得られるようになってきました。そこで手にしたのが、GRでした。この小ぶりながらも描写の一流なカメラにすっかり虜になり、夢中で撮り歩きました。デジタルの手軽さも新鮮で面白く、振り返れば初めて写真を撮ることを、純粋に「楽しめた」時期でもありました。それまでの撮影には、どこか修行僧のような厳格さが入り混じっていた私にとって、シャッターを押せばしっかり写るGRは、のめり込むのに十分な魅力を持っていました。GRを使っても、画像比率は1:1にして正方形にこだわり続けていました。

しかし、撮るのは楽しくても、プリントにはなかなか満足できません。友人の写真家からエプソンのフラッグシップの型落ちを譲っていただき、RAW現像を学び、レタッチを学んで、様々な印画紙を試してみましたが、どうしてもアナログのグレートーンが生み出せません。パソコン自体には非常に関心があり、早くからインターネットを使うためにノートパソコンを当時40万もはたいて購入したりしていましたが、こと写真に関しては、どうもデジタルは最後まで満足させてくれませんでした。

長々と書きましたが、再びフィルムを撮ろうと決意してのライカとの出会い、そしてハッセルとの再会は、「これ以上は要らない」と思える終着点に感じています。強いていえば、リンホフとシュナイダーレンズをもう一度いつか使いたい、とは思いますが、それはもう少し写真で自身の道が広がってきた時の夢としておきましょう。

写真家の間では、カメラは「35mmとハッセルと4×5があればいい」と言うそうです。なぜか中判に関してだけは、ハッセル、と限定されているのです。それほど、ハッセルは機材としても思想としても超一流なのです。それが使えている今の自分を、誇らしくも思います。ハッセルの名に恥じぬ作品を作れるよう、切磋琢磨してまいります。

友人の助けを受けて、ハッセル用のデジタルパックとしてフェーズワンのP45を使えるようになりました。これとフィルムパックにモノクロフィルムを詰めて、東京を再び歩いています。その先に何があるのか、限られた時間と体力の中ですが、模索していきます。

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