私のカメラ


新シリーズ「Asakusa」より

前回の投稿から2ヶ月も経ってしまいました。ご無沙汰いたしております。段々と陽気に恵まれた日も増え、桜が咲くのも間も無くでしょう。季節はこうして移ろいでいきます。

この2ヶ月間、いろんな本を読みました。多くが写真関係ですが、中でもハッセルブラッドを使って発表されている写真家の方の作品集やエッセイを、勉強のつもりで読んでいます。が、結局写真論というものはカメラの云々関係なく、行き着くところは似たようなものなのですが、作品は参考になります。私がハッセルブラッドを使うようになったのも、ハッセルブラッドで名作を多く作り出しているマイケル・ケンナの影響が非常に大きいですし、もともと写真を本格的に始めた学生時代から正方形フォーマットを使わされて身に染み付いていますので、ハッセルブラッドに行き着いたのは自然といえば自然のことなのです。

同じ正方形フォーマットのローライフレックスは、帰国後、東京での撮影カメラを探しあぐね、大判やら色々と試した末に行き着いた「これだ!」と思えるカメラであり、それ以前に一度ハッセルブラッドを試した際には撮影スタイルも描写もどうもしっくりこず、手放した経緯があるのですが、なぜかいま、「カメラはハッセルとライカ」となってしまいました。不思議なものです。

ハッセル使いはライカを嫌う、という都市伝説があります。私には不思議に思えます。事実、私にハッセル用のデジタルパックを譲ってくれ、ハッセルに関しては色々と相談に乗ってもらっているカメラマンの友人も、私がライカを使っていることをあまり好ましく思っていない様子です。ライカを好む人は、とにかくライカを愛する人が多いです。レンズ沼、という言葉があるように、ライカの無限に思えるレンズ群を片っ端からかき集め、ボディもレンズに合わせて何台も揃え、とにかくライカへの愛情の注ぎ方は異常に思えるほどの人が多いです。そういう人が、合わせてハッセルも愛する、という話は確かに聞かれません。

私はいま、ライカかハッセルか、という二者一択の選択を突きつけられたら、迷わずハッセルを選ぶでしょう。しかし、尊敬する偉大なばかりか伝説化している写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンがライカを使っていた理由は、ほかに適したカメラがなかったから、ではないでしょうか。彼の言葉から生まれた「決定的瞬間」というものを捉えるカメラが、ライカしかなかったのです。決して、ライカ偏愛的な嗜好からライカを使っていたわけではないと私は思います。彼のスタイルに必要不可欠なカメラであったに過ぎないのです。

ライカの価値を軽んじているわけではありません。ライカは素晴らしいカメラです。私は100年に及ぶライカの歴史の中でも、フィルムカメラではM型ライカが生まれ世界を驚愕させた歴史的カメラの第一号、<M3>しか認めていません。M3は初代機であり、すでに同じライカでも後続機の追随を許さない最高峰の完成度だったのです。無駄な機能は一切なく、使用されている素材はネジ一本までこだわり抜いたこのカメラは、ドイツから持ち帰ったニコンのスタッフが分解して調べた末、「こんなカメラに敵うはずが無い」と認めさせ、結果、それまでのレンジファインダーの開発を思いとどまらせて一眼レフ開発に走り、ニコンFという名機を生み出すに至り、以来日本は一眼レフ大国になったという現在まで続く歴史からも実証されています。

そして、レンズはライカではなくシュナイダー社製のスーパー・アンギュロン21mm。このレンズが使いたくてM3を買ったようなものです。本当に使いたかったライカは、クラウドファンディングでも目標にしていたモノクロ専用のデジタルカメラ、Mモノクロームでしたが、あまりに高額でとても達成できませんでした。それでも後悔どころか、M3は買うべくして買った運命のカメラだと信じています。フィルムをもう一度やりたい、とクラウドファンディングでいろんな方の意見を聞く中で思うようになり、それまでライカはMモノクロームとしか考えていなかったのですが、フィルムカメラの世界最高峰の一つであるM3に至ったわけです。

そんな遍歴を経て、いまの私の機材はハッセルとライカのみです。おそらくこれからも長いこと、これのみで創作・仕事を続けると思います。奇しくも、ハッセルの歴史も100年を迎えたばかりで、ライカの歴史に符合します。不思議なことに、ハッセルを生んだスェーデンでは、35mmカメラは製造されていません。フランス並みの工業大国でありながら、何故か小型カメラは作っていないのです。これは余談ではありますが。

ライカにもあるように、ハッセルにも不思議な魅力があります。デジタルパックで撮影していても、どこかフィルムで撮影しているような緊張感が残っているのです。「写真を撮っている」という緊張感と光悦感を同時に与えてくれます。しかも、50年前のカメラにデジタルパックが使えるように、フィルムパックも当然使えます。ここはフィルムで撮りたい、と思ったら、カメラを変えずともバックパックを取り替えれば済むわけです。レンズ、ボディ、フィルムの三位一体がそれぞれ分離している設計思想は、100年前の初代機誕生から全く変わっていません。しかも、最新の現行機にも、露出計もついていないのです。ライカでさえ、M6において露出計を内蔵し、超実用機を世に出してしまっているというのにです。このこだわりは素晴らしいものがあります。

なにやらカメラ雑誌の記事みたいなブログになりましたが、とにかくいま、私はハッセルに夢中です。ボディもレンズも大きく重たく、持ち運びには苦労させられるカメラですが、世界最高峰の中判カメラを使う喜びには代えられません。レンズメーカーの名門、カール・ツアイスの描写も最高です。今も、これからも、私の最高の相棒となるでしょう。

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